歴史

No.002 魔剤府城誕生

戦国時代、 魔剤府は行政機能を失い末期には消滅するのだが魔剤府天満宮があるため周辺は門前町として発展することとなる。地図の赤背景の部分が市街地だがかなり発展していると言えよう。 上地図:相変わらずだが熱津の港が現代の状態なのはご愛敬。ところで金総港のところがやけに発展しているが...?

ところで、当時(戦国時代)金総国を治めていたのは戦国大名の羽田家であった。その居城として造られたのが魔剤府城。岬を丸ごと利用した城であり日本有数の規模である。そのためか城下町も大いに発展した。その都市規模は魔剤府天満宮周辺に引けをとらない。
また現在の魔剤府市の市域には初浜(はつはま)宿と柚尾(ゆのお)宿が設けられた。 規模としては柚尾宿の方が大きい。
※1 魔剤府の衰退
平安時代に栄華を誇った魔剤府であったが鎌倉、室町と武士が台頭する社会への変容によって衰退していった。そして戦国時代末期には消滅まで追い込まれるのだが薬品関係の施設は金総国領主・羽田家に引き継がれた。

※2 魔剤府城
戦国時代中期、羽田全空によって造られた城。以前までは金総国の本城は隣町、大岡にある大岡城であったが魔剤府城の誕生で本城が移ることとなった。
魔剤府城が築かれた岬は80m程度の小山の連続になっていて城を建てるには都合の良い地形であった。これに目を付けた全空は大量の人員を割いて大規模な城を築いたと言われている。その当時の構造はよくわかっていないがその後増築が繰り返された姿は今も見ることができる。

※3 初浜宿・柚尾宿
戦国時代では国内での伝馬制度を確立させ領地内の交通網を整備することはよくあることだった。金総国でも整備は進み、現在の魔剤府市内では初浜宿と柚尾宿が宿駅として発展した。当時の規模は柚尾宿の方が大きかったと言われている。魔剤府天満宮を経由するルートの方が交通量が多かったのであろう。
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